LEGLABO 講師ブログ
一時期マイケル・サンデルの「これからの正義の話をしよう」がマスコミで取り上げられた時期がありましたが、コミュニタリアニズムを標榜するサンデル教授が学生に問いかける質問はどれもこれも1つの絶対的な「正解」が存在するものではなく、それが故に、学生はその問いに対する自身の答えを出す際に色々な点において逡巡することとなり、最終的には自分のアイデンティティや価値観とも向き合わざるをえないことにもなるわけで、そういう意味でも非常に知的関心を刺激する内容であったわけです。
そこまで大げさなものではないにしても、私の職業柄、毎年考えさせられる機会が多かったのが受験生の進路指導であるわけです。当たり前の話なのですが、進路指導においてはどの生徒にも当てはまる絶対的な正解は存在しないというのが私の思う所であるわけです。それは一教師としての自身の価値観とは別に、サービス業に従事する人間として、極力生徒・保護者の方の望む形を実現させたいと思うからかもしれません。
生徒たちが受験学年になり、彼ら・彼女らの進路指導に当たる際には常に2つのモノの見方の間を揺れるわけであります。
それはすなわち
「受験はオリンピックではないので、参加することに意味があるのではなく、受からないと意味が無い」という視点
と
「受験は人生の最終ゴールではないので、受かる・受からないではなく、悔いのない受験をすることに意味がある」という視点
の2つであります。
これはどちらが正解でどちらが不正解というわけではありません。なぜなら、前者の考え方をする生徒、あるいは保護者の方にとっては、前者の内容を前提とした進路指導をすべきであり、後者の考え方をする生徒、あるいは保護者の方にとっては、その前提に立った進路指導をすべきだからです。つまり、これは個々のご家庭や受験生の価値観と密接に関わっている部分であるわけです。
で・・・ここからはあまり大きな声では言えませんが、指導をする側の立場となると、えてして、この上記の視点のうち、片方に偏りがちになる傾向が強いのではないかと個人的には思うわけです。もちろん、その偏りがちな視点が受験生・保護者の方と一致していれば何ら問題はないわけなのですが、ここに不一致が生じると、双方において大きなストレスが発生しがちになります。
個人的には、昔、最終進路面談の席で、受験生のお母さんが、「成績が足りないことは十分承知ですが、本人はA高校だけを目指して今まで努力してきまして、そのがんばりは親も認めてるところです。A高校がダメならD高校に行く覚悟も決めていますので、A高校に出願させてもらえませんか?」と仰った際に、現状の学力からみた合格可能性も伝えた上で、それでも頑張る覚悟でいるのであれば、最後まで悔いの残らないように指導させて頂きますとお伝えしたところ、ホッと安堵されて口にされたのが、「もし不合格になることで塾にご迷惑をおかけするようであれば、今月末で退塾させてもらった方がよいのだろうか、と悩んでいたのですが、そう言って頂けて本当に良かったです」という内容でした。「不合格になることで塾にご迷惑をおかけするかも」というご心配までさせてしまっていたのかと、非常に複雑な気持ちにさせられたお言葉であったわけです。
もちろん、進路指導ではこの例の真逆をご要望されるケースも多々あります。従って、まずはそういうご家庭の方針や価値観をしっかりと共有することが進路指導のはじめの第一歩ではないかと思うわけです。その上で、生徒・保護者の方の望まれる形になるように持っていくのが我々の仕事なのだと、つくづく感じさせられる今日この頃であったりするわけです。