LEGLABO 講師ブログ
前回の記事では、コンテクストがわからないと「英文の和訳は出来ても何の話なのかがわからない」よって、「内容に関する問題を出題されても正解できない」という話をしました。
先日高校生が何気なくつぶやいていたのですが、その高校生曰く、「中学校までは英文が訳せたら当たり前のように意味がわかると思っていた」そうです。が、これが高校生になって、「英文の訳はできても、それがどういうことなのかわからない」という場面に出くわすことがやたらと多くなったそうです。
本人は「なんで中学校までは普通に読めてたものが読めなくなったのか?」と結構悩んでいるのですが、答えは簡単で、「中学校までは内容の薄っぺらいものをただ英語に翻訳したものを読んでいただけ」だからなのですね。
これ、高校生、大学生ぐらいになるとよくわかると思いますが、高校入試ぐらいまでの長文読解問題ってとにかく「面白くない」のですよね、内容が。
だいたいが、自己紹介から始まって、家族構成とか何のクラブに入ってるとか、ま、そういう面白みのかけらもない情報が出てきて、それが終わると途中ぐらいからアメリカから友達がやってきて、今度はそのアメリカ人の友達の家族構成の説明があったりとかで、「おいおい…」と思っていると、その友達がお寺を見たいというから(というか、アメリカ人の中学生で日本の寺に興味あるとかって相当特異なアメリカ人やと思うんですけどね…)、京都に連れて行ったら、今度はそこで「京都は日本で最も古い都市の一つです」とか、これまた意味不明な情報が出てきて、にも関わらず、お寺巡りをしたそのアメリカ人は感激して、「私はとても楽しいひと時を過ごしました」とか言いながら、アメリカに来たら今度は自分が町を案内するでしょう、などと勝手に今度はアメリカに行く予定までたてられて、最後は「いつか私はアメリカを訪問することを楽しみにしています」という一文で締めくくられるという、もはや中学生に読ませるには拷問級のおもろなさを炸裂させた英文なので、前回のお説教の話ではないですが、読む側からすると何ら目新しい情報も、驚きもなく、ただ英文を頭で和訳しているだけという作業が続くわけです。これ、英語講師ならわかると思いますが、こういう英文は記憶にすら残りにくいですよね…。どれもこれも似たり寄ったりの内容なので。そんなわけで、こんな文章だったらそりゃ和訳さえできたら内容は100%わかるでしょう…(-_-;)
で、こういう読解問題ばかり解いて中学の時は模試の偏差値が良かったのに、高校になってから「なんかおかしい」と思うことがやたら出てきたというのは、ある時点から英文の内容がガラッと変わったからでしかないわけです。
そう考えると、英語学習において触れる題材って本当に大事だなと改めて思うわけです。