LEGLABO 講師ブログ
原爆が投下されてから60年以上が経過して、ようやく落とした側の国の大統領が被爆地を訪問するというのもなかなか考えさせられるところではあるわけですが、それでも今回の訪問の目的は謝罪ではなくあくまでも犠牲になった人たちへの哀悼の意を表する点だと言っているとこらへんがなかなか大人的言い回しというかなんというか・・・。
以前、後輩(純ジャパニーズ)と話している時に、あの時原爆が落とされたからこそ、戦後の日本の急速な復興があり、今の豊かさがあるというようなことを言っていたのですが、一瞬、英語を勉強しすぎてついに自分の日本語の読解力が低下したのか、あるいはiPod聞きすぎて、とうとう自分の耳がおかしくなったのかな?と思いました。
あまり結構な意味合いではない、あるいは議論を呼ぶようなテーマであるがために、教育現場や、ましてや国際的な英語のテストではタブーとされるジャンルに、死・宗教・(民族)紛争などがあります。それがために、例えば、生徒たちがパッと思い出せるレベルでの「死」関係の単語と言えば、killとdieぐらいでしょうか。ここに、高校生くらいになるとsuicide(自殺)が追加されます。ところがニュースではこの"-cide"系の単語は結構登場頻度が高く
homicide(殺人)
genocide(集団虐殺)
pesticide(殺虫剤)
herbicide(枯れ葉剤)
なんかはよく目にする関連語です。
最後のherbicideはベトナムでまいたあれですね。あとgenocideというと、ルワンダの部族紛争であったり、バルカン半島の民族紛争であったり、あるいはナチスのホロコーストであったり、そういう類の歴史的事件・紛争を報道する際によく使われていますが、何故か、原爆投下をgenocideと表現している報道はあまり見かけないような・・・。自国民ですら、あれを落としたから太平洋戦争の終わりが早くなったのでやむを得ないという相当M的な思考回路になれるぐらいなので仕方がないのか、あるいはこれを洗脳と呼ぶのか、色々と見方はあるかとは思うのですが、まぁ世界広しと言えど、そのような思考回路になれる国民は恐らく日本人ぐらいではなかろうか?と。ベトナム人からしたら信じれん思考回路ですよね、多分。
これも戦後教育の賜物なのでしょうが、要は歴史というのは全て勝者によって後付けで作られていくものなのだなぁと、そしてその歴史が教育によって次世代の子どもたちに刷り込まれていくのだなぁとその時改めて痛感した記憶があります。
そう考えると、歴史の先生って無茶苦茶責任重大ですよね!?
と、そう言えば、1人まさに「レジェンド」と呼ぶにふさわしい伝説的な歴史の先生がいらっしゃいまして・・・とか書き出すとどんどん違う方向に脱線してしまうので、これはまたの機会に(笑)